福湾チョコレート騒動から考える情報発信のあり方

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 最近、もやもやと考えていることがある。

 それは福湾チョコレートの不買運動騒動だ。

(騒動についてよくわからない方は下記記事をご参考に) 

参考 台湾の高級チョコメーカーが炎上、各社販売中止 発端は過去のわいせつ事件中央社フォーカス台湾

 ただ、もやもやしているのは騒動そのものに対してではない。

 情報発信者としての向き合い方だ。

 福湾チョコレート(以下福湾)は近年、国際的賞を多数受賞していることから高い注目を集め、台湾情報を発信するブロガーやライター、メディアなどからこぞって紹介された。

 この騒動の拡大を受けて、ここ数日、かつて福湾を紹介・おすすめしていたブロガーさんやライターさんの一部がこの騒動について言及しているのをブログやSNSで目にした。これらの方々の文章からは、心苦しい思いがひしひしと伝わってきた。ある程度の距離感を保った書き方をされているのはちょっとさみしいなと正直感じたが、立場上、それもある意味仕方がないのだろう。

 それから気になって、グーグルで「福湾チョコレート」と検索し、上位表示されたブログ記事と、そのブロガーさんがこの騒動についてどのような言及をしているのか見てみた。

 すると、全く言及をしていない人、おそらく騒動について深く考えずに表面的な情報だけでコメントしている人など、様々だった。

 そしていろいろな思いが湧いてきた。

  • 情報発信者として、他人におすすめだけしておいて、その後何かマイナスな出来事があった時に、傍観すること、自分とは関係ないと切り離すことは無責任ではないだろうか。
  • でも、企業からお金をもらって宣伝しているわけではない場合、発信者はアフターケアにまで責任を負う必要があるのか。それは求めすぎではないか。
  • 「今まで知らなかった」ことを言い訳にしていいのか。情報は隠されていたわけではない。知ろうとしなかった、あるいは知っていたけどスルーしていたことに非はないのか。
  • 企業の全てを把握するなんて、個人には到底無理。知らない情報があるのは仕方ない。

 誰かを責めるつもりは全く無い

 単純に、一人のブログ運営者として悩む。

 こういう時、どうすべきなのか。
 普段から情報発信を行う時、安易におすすめをしてもいいのだろうか。
 おすすめに責任は伴わないのか。

 そして、もう一つ、個人がどういう姿勢で情報を発信していくべきか、そのあり方について、もっと議論が進んでもいいのではないかとも感じた。

最後に、今回の騒動について私の考えを書いておく。

 まず、強制わいせつや誹謗中傷は犯罪であり、過去に犯した罪について擁護の余地はない。

 ただ一方で、これらの事件はすでに判決が出ていて、法治国家として、法のもとで下された処罰を当事者はすでに受けている。

 また、この情報は隠されていたわけでない。

 これらを踏まえた上で、過去を蒸し返す形で起こった今回の不買運動、そして提携企業のコラボ商品販売停止措置は「残念」だと思う。

 理由を説明していく。

 まず1つ目
 過去の犯罪について、法律上はすでに償いを済ませていること。

 もしこの犯罪が現在進行系のものであったのならば、現在糾弾されるべきである。
 でも、これは過去のこと。処罰は受けた。だったらこれ以上、私刑みたいなことはしなくてもいいんじゃないだろうか。
 一度犯罪を犯したら、その人はこの先ずっと責められ続けなければいけないのか。私はそんな心の狭いことはしたくない。

 近年の福湾の発展は目覚ましい。事件後から現在までに福湾が確かに築き上げてきた功績は、過去の不祥事によって否定されていいものなのだろうか。

 2つ目。
 「知らなかった」社会に責任はないのか。

 おそらく、批判をしている人の一部は事件を今まで「知らなかった」から余計にマイナスイメージを抱いてしまったのではないかと推測する。

 でも、2015年のわいせつ事件も、2017年の誹謗中傷判決も関連報道はある。当時、あまり問題視されなかったのは、社会があまり関心を向けてこなかったことの裏返しではないだろうか。その責任を今になって企業に押し付けていいのだろうか。

 3つ目
 なぜ、今?

 そもそもなぜ今になって過去の事件が蒸し返されたのか。
 これは私の推測でしかないが、福湾が一気に庶民の世界に降りてきたことが一つの要因であると思う。

 福湾はこれまで「高級チョコレート」というイメージだった。
 少なくとも今年初めくらいまでは、買える場所は専門店かギフトショップ、空港などごく一部の店に限られていた。実際、私が今年正月に日本に帰る際に福湾製品をお土産に買いたくて、「どこで買えるんだろう」と検索したのを覚えている。福湾製品を一般生活で目にする機会はほとんどなかった。

 だが、ここ数ヶ月、特に先月辺りから、福湾が別の企業と続々とコラボレーションをして、一般の人の目に触れる機会が格段に増えた。「人の目に触れる機会が増えた」。ここがポイントだと思う。

参考:文華東方酒店X福灣聯名登月 巧克力界NASA 250盒月餅限定開賣
限量巧克力啤酒!金色三麥X福灣巧克力推「台灣1號巧克力啤酒」,微醺可可風味冬天最適合來一杯
世界金牌巧克力聯名第二彈!福灣巧克力X Mister Donut,經典荔枝可可波堤、全新費南雪,給你最濃郁的甜蜜風味

 そして、不買の発端となる投稿をした人はいったい誰なのか

 発端となったとされるのは、この掲示板の投稿だ。

 投稿者は当事者ではない(私は最初、当事者が投稿したと勘違いしていたのだが実は違った)。当事者と自称する人が登場したのは、その投稿に対するコメントでだ。

 当事者ではないのに、なぜこの投稿者は不買を促すような文章を載せたのか。ここはとても気になる。推測にしかすぎないため、はっきりとは書かないが、いろいろな可能性が考えられると思う。

 今回の件が起きたもう一つの要因は、福湾が一気に手を広げすぎたことにあるとも考えられる。この話題を話し合っていた際に、同僚はこう語っていた。ー「出る杭は打たれる」。私も同感だ。この点で考えると、福湾の戦略上の失敗が引き起こした騒動だともいえる。

 でも、不買に関して実際問題、人間の感情として、いくら過去の出来事であっても、その人が罪を償っていても、「こんなひどいことをした人が経営する会社の商品を買いたくない」という気持ちが生まれることは自然なものだ。その感情を否定はしない。「買いたくない」というのは消費者の自由だ。

 しかし、個人が「買いたくない」という気持ちを心の中で抱いて購入を避けるという行為から飛躍して、インターネット上で「セクハラチョコ」と揶揄したり、強い言葉でバッシングしたりする行為が広がっているのは、やっぱり行き過ぎなんじゃないかなと感じてしまう。私が生産者だったら、心を込めて作った商品が「セクハラチョコ」なんて言われてしまったら泣きたくなる。

 今回の件に関し、大手紙の聯合報で興味深いアンケートを見つけた。
「あなたは福湾チョコレートが数年前の事件によってボイコットされ、複数のコラボ企業が緊急に商品の販売を中止したことをどう考えますか」という内容だ。

聯合報投票ページ

 10日午後11時現在、まだ投票受付中だが、
「犯罪者に儲けさせたくない。販売停止されなくても買わない」が53%(2241票)で半数を超え、次いで「販売停止は正しい。犯罪は代償を払うべき」が25%(1052票)となった。販売停止肯定派が約8割に上った

 一方、「個人がしでかしたことは個人が責任を負うべき。商品に罪はない」は13%(563票)、「正義魔人は行き過ぎ。自分が食べないなら買わなければいい」が7%(305票)となった。「正義魔人」とは「自分の正義を盾に、相手に攻撃を加える人」という意味らしい。

 私は「正義魔人は行き過ぎ」に一票入れたい。ただ、現状の途中経過だと私は少数派だと分かる。でも、気をつけないといけないのは、これがネットアンケートだということだ。ネットアンケートの多数派が真の多数派かはわからないし、その反対もありうる。

 今回の騒動は台湾社会におけるネットの声の大きさや、犯罪者への不寛容さを改めて感じさせるものだった。単に一つの企業を窮地に陥れる騒動にするのではなく、何か社会に気付きがあればいいなと願う。

追記(2020年12月15日)

 追記部分は、Twitterのフォロワーさんのコメントに対する返信です。

 以下是給台灣推友的回覆:

我並沒有否定抵制行動,消費者擁有自己決定消費行為的權利,而且不管那個行動出自善還是惡,抵制行動確實可以表達某種訊息給社會,這是有意義的。如你所說「這次的抵制比起抵制福灣,更在於表達『(至少有一部分的)臺灣人不能接受性騷擾』」,這個部分我完全同意。

我看到了這一則報導,這樣子的呼籲是很正面的,我也贊成。
福灣性騷擾案無法罰 綠委批荒謬籲修法(自由時報2020/12/10)

但我還是很在意到底多少人是用自己的信念做出行動呢?我當然支持有自己的想法及信念而去採取抵制行動的人,不過,並不是每個人都有自己的信念,至少在我的眼裡,那些去福灣的FB用強烈的字眼批評他們的大部分的人只是發洩自己的負面情緒而已。

我認為台灣社會(也可能不只台灣社會,很多社會都是)往往針對被搬上檯面上的東西做出比較激烈的行動,而這樣的作法很容易產生雙重標準。

我覺得這一次的案件中無法忽略的是,福灣前董事長的性騷擾案並沒有被隱瞞,只是大家以前沒有注意到而已。我查這一次抵制行動的過程當中發現,其實這一次有網友爆料的很久以前就有人提醒大家福灣老闆過去有醜聞(你也可以查推特,日文的留言也有)。為何過去這些有提醒的人的意見沒有被重視呢?

2015年時的福灣應該沒有名氣, 那個時候發生的事件大家沒有注意到是可以理解的,那2017年呢?我查了資料,從福灣的官網看得出,他們從2017年就開始在國際比賽得獎,可以推測從那個時候開始福灣的知名度越來越提升。為何大家那個時候忽略過去的醜聞?當然3年前跟現在的社會不一樣,也有可能社會在這三年做了很大的進步。

舉另外一個例子,說到因為性別事件被判刑的人,我第一個想到的是張作驥導演。他在2015年因為性侵事件入獄,在2017年獲假釋出獄。然後他出獄之後的第一個長篇《那個我最親愛的陌生人》在2019年被選為金馬影展開幕片,電影票一開賣就秒殺。以我的觀察,那時候的輿論沒有對這件事做出批評。值得注意的是,他犯下的罪情比性騷擾還嚴重。這就是我說的雙重標準。

那張導演跟福灣的差別在哪裡呢?我覺得最大的差別是「有沒有低調」。張導鮮少出現在公開活動,金馬獎、台北電影獎等影展的頒獎典禮都沒有出席。而近期的福灣實在太高調,品牌的曝光度很高。我猜測因為是這樣,惹來了一些不看好他們品牌的人。

這麼想來,其實讓這一次的爭議延燒的真正原因,並不是性騷擾或誹謗,而是福灣對這件事的處理方式不對。過去的醜聞只是導火線而已。

寫了這麼多,我要問加入抵制行動的人,你現在拿出的正義是你自己的正義,還是被他人所影響的正義?

有一個正義的行動有可能產生另外一個被害者。沒有經過思考、不理性地去批判的那些人有沒有想過這一個層面?

或許有人認為,只要形塑出來的東西很正面的話,其成分是善還是惡都無所謂。因為每個人都有自己的想法,我尊重有這樣的想法的人。但我還是很在意裡面的成分。

但也有可能我把台灣社會看得太悲觀,因為我是外國人,容易看得出社會的矛盾。

說的容易,做的很難。但我也希望更多人用自己的頭腦思考之後做出判斷,不要容易被大眾的意見影響。

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