自分が大切にする価値観とは?

 先日、ツイッターで悲しい出来事があった。

 下記のツイートをしたところ、「嫌だったら帰ったらいい」といった内容の引用RTを在台日本人からもらった。(スクリーンショットなどを貼ったほうがわかりやすいと思うが、この記事は晒すことを目的とするわけではないためそれはしないでおく)

 批判的な反応が来るかな〜とは予想はしていた。だが、それに真っ向から反論したのが悪かった。

「文句があるなら帰れ、誰もお前にいてくれなんて頼んでいない。」

「事情? 苦労? 人知れぬ努力?
そんなの誰だってある。己の都合を外国政府に押し付けるな。」


 と罵声を浴びせられた。

 こんなこと言われていい気分になる人間なんていない。しかも私はただ単に「こうしてほしい」という願望を書いただけなのになぜ「都合を外国政府に押し付ける」という解釈になるのかよくわからない。しかも、この方は私と面識がないのになぜ自信満々で「誰もお前にいてくれなんて頼んでいない」なんて言えるのかこれもよくわからない。

 「こんな人の言うことは気にする必要はない」と頭ではわかっているけれど、私はそんなに精神的に成熟した人間ではないので、やっぱり傷ついたし、その日はほぼ一日中、私が常時つけているガーミンのアクティビティウォッチのストレス値が「高」で推移していたし、いつもは全く無い頭痛もした。(余談だが、このガーミンのストレストラッカーはけっこう正確だと思う。どうやって計測しているかは知らないがすごい)

 でも、やっぱり私の味方になってくれる人はたくさんいて、これまた全く面識がないフォロワーさんからDMで優しい言葉をかけていただいたり、ツイッター上で仲良くさせていただいている方からもご心配の声をいただいた。直接的ではないものの、「同胞に対して『帰れ』というなんて言語道断」と怒ってくれる人もいた。はたまた、これは私に向けられた言葉ではないものの、心無い言葉を浴びせた本人に対して内省(といっていいかわからないが)を呼びかける人もいた。

 私のブログを見てくださっている方はわかると思うが、私はこれまでにも台湾政府に対して思うことをつづってきた。

 台湾に住む一外国人として、政府への意見を表明することは普通だと思っていた。でも、そうではない、というか、政府批判をよく思わない日本人も中にはいることを知った。自称「欧州在住日本人」という方からは「ハッシュタグをつけて全世界に批判を発信しているのはあなた」「感情的になっているのはあなた」という批判の声をいただいた。まあ、たしかに、上のツイートは感情的といわれればそれは否定できないかもしれない。私としてはマイルドに書いたつもりだったのだが、感情的と受け取る人がいたとすれば、私の書き方が悪かったと認めざるを得ない。

同胞の日本人が滞在国政府を批判することを嫌がるのはなぜなのか?

 でも、私が理解できなかったのは、「なぜ別の日本人が滞在国の政府を批判することにこれほどまでに拒絶反応を示す日本人がいるのか」ということだ。台湾人から批判されるならまだ分かるが、なぜ日本人がこんなに嫌がるのかよく分からなかった。

 いろいろ参考になりそうな文章を漁っていく中で、こんな文章に出会った。

道徳の基盤と自粛警察:コロナ禍で見えてくる私たちの価値観(立命館大学教職研究科・荒木寿友教授)

 詳細については本文を見ていただきたいが、この文章の中ではアメリカの社会心理学者であるハイトが提唱する、社会的直感モデル(social intuitionist model)に基づいた道徳基盤理論(moral foundation theory)というものを紹介している。ハイトの調査では、「人間が直感的に抱いた感情になんとか合うように理由付けをする傾向」があることが明らかになったという。そして、この直感的に抱く道徳の源泉(基盤)は6 つ程度あるそうで、荒木氏は仮説として、コロナ下の日本社会に登場した自粛警察はおそらく「忠誠/裏切り」「権威/転覆」「神聖/堕落」の源泉を中心に物事を捉えているのではないかとの見解を示していた。

 「同胞が滞在国の政府を批判すること」を批判するという行動はこの自粛警察に少し似ている気がしていた。批判する人は「忠誠/裏切り」「権威/転覆」という源泉を中心に物事を捉えているのではないか。

 そして、荒木氏のこの言葉が胸に響いた。

人間は直感的な生き物であるからこそ、数万年経った今は、ちょっと立ち止まって考えること=熟慮がむしろ必要です。また、自分の直感をメタ的に捉えていくこと(いま自分はどの道徳の源泉に基づいて考えているんだろうかということを考えること)も必要でしょう。こういった作業をすることによって、自分が大切にしている価値観がわかってきます。

道徳の基盤と自粛警察:コロナ禍で見えてくる私たちの価値観

 私はどの価値観を大切にしているだろうと考えてみた。ハイトの理論で挙げられた6つの源泉の中から選ぶとすれば「公正/欺瞞」だろう。フェアか、フェアじゃないか。その価値観を大事にしているから、冒頭のツイートのようなことに文句を言いたくなるのだろう。

 私はこれまでも、「同じく台湾に住む日本人でも考え方は人によって違う」ということは感じていた。でも、これまではそれが「生活する環境」による違いから生じるものだと思っていた。でも、それだけではなく、「直感的に抱く道徳の源泉」の違いも大きく影響しているのではないかとこの文章を読んで気が付いた。それと同時に、道徳の源泉が違うのだから、理解し合えないのも無理はないと諦めの気持ちが芽生えた。

 インターネット上で何かを発信するのは常にリスクが付きまとう。自分の価値観では「問題ない」と思っても、別の価値観を持つ人から「とんでもない」と思われることもある。自分の正直な気持ちを書く以上、この状況を100%避けることは聖人以外不可能だ。だからこそ、自分にとっては理不尽と思えるコメントをもらった時に、「価値観が違う」ということを意識できれば、自分が受けるダメージも減るのではないか。

 余談だが、上のツイートが思いの外物議を呼んだおかげか、ここ数日でツイッターのフォロワーが伸び、1000人を超えた。災い転じて福となすといったところだろうか。多くの人がフォローしてくれるのは非常にありがたい一方、心無い言葉をかけてくる人は増えていくことが予想される。こういった状況に打ち勝つためにも、心無い言葉に平常心で対応できるスキルを養っていきたい。

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