2019年8月から10月にかけて台湾で放送されたドラマ『用九柑仔店』(日本語題:いつでも君を待っている)。台湾の田舎の町の「柑仔店」(ガマディアン)と呼ばれる伝統的な万屋(よろずや)を軸に、そこに集う人々の交流を描いた心温まる人情ドラマです。
9月26日に授賞式が開かれる台湾のテレビ番組アワード「第55回電視金鐘奨」にも、連読ドラマ作品賞(戲劇節目獎)をはじめとする7部門にノミネートされています。
最近台湾で話題になった人情ドラマといえば、クラウド・ルー(盧廣仲)主演の『花甲男孩轉大人』(日本語題:お花畑から来た少年)がありますが、台湾のローカル性を打ち出した作品は台湾語が多用されるのと、文化的に馴染みにくい部分もあって個人的にはそんなに好みではありません。そのため、『用九~』も、あまり期待していなかったのですが、見事にいい意味で予想が裏切られました。配信で見始めてみると、大きな事件が起こったりするわけではないのにどんどん先を見たくなってしまい、2日間で全16話(1話40分ちょっと)を一気観してしまいました。
この記事では、『用九柑仔店』の魅力を紹介するとともに、作品が問いかける「生き方とは何か」について考察していきます。
目次
台湾の田舎の町の「柑仔店」(ガマディアン)と呼ばれる伝統的な万屋(よろずや)を舞台に、そこに集う人々の交流を描いた作品です。登場人物の過去のエピソードを織り交ぜながら、作品の中心となる用久商店にまつわる物語やそれぞれの登場人物の背景を丁寧に描いていきます。
台湾の漫画家・阮光民の同名漫画が原作になっています。「用九~」の第1巻は台湾の文化部(文化省)が主催する漫画賞「金漫奨」で、2017年に最高賞の年間漫画大賞を受賞しています。
参考 台湾の漫画賞・金漫奨発表 最高賞は阮光民さんの手に文化部公式サイト台湾の華人創作と米FOXネットワークス・グループが共同製作し、三立テレビで台湾初放送されました。
監督は、『ギャングだってオスカー狙いますが、何か?』(江湖無難事)のガオ・ピンチュアン(高炳權)と『衣櫃裡的貓』のゼン・インティン(曾英庭)の2人。
出演はデレック・チャン(張軒睿)、クリスティーナ・モク(莫允雯)、ワン・ポージエ(王柏傑)、ワン・ジン(王淨)、ロイ・チウ(邱澤)、リン・イーション(林義雄)、ロン・ジンホア(龍劭華)、レイ・ホン(雷洪)ら。若手から中堅、ベテランまで、実力派のキャストが揃います。
台北の建設会社で働く俊龍(デレック・チャン)は、仕事で高い能力を発揮し、会社の若手エースとして期待されていた。しかし、故郷の田舎で柑仔店を一人で営んできた祖父が突然病に倒れてしまう。最初は店をたたもうと考えていた俊龍だが、仕事でのある出来事や田舎の隣人とのやり取りを通じ、昇進の機会を捨てて田舎に戻り、祖父に代わって柑仔店を営むことを決意する。慣れない経営に苦戦しつつも、町の人の助けを借りながら、近所へのスーパーマーケット開業や店舗売却などの危機を乗り越えていくーー。
まず注目すべきは、主要キャストの豪華さです。主人公の俊龍を演じるのは、注目株のイケメン俳優デレック・チャン。その相手役・昭君をクリスティーナ・モクが務めました。そして、俊龍の祖父・進德の若い頃を演じたのは、ワン・ポージエ。映画『返校』で一躍ブレイクしたワン・ジンが若き日の進徳のお相手・銀月に扮します。田舎の町の再開発を企てるビジネスマン役をロイ・チウが務めたほか、出番はさほど多くないですが、リン・ジャーシー(林哲熹)やスン・クーファン(孫可芳)なども出演し、熱のある演技を見せています。また、今年5月に急逝したウー・ポンフォン(吳朋奉)も出演しています。
クリスティーナは金鐘奨の連続ドラマ主演女優賞に、俊龍の幼馴染の両金を演じたホウ・イェンシー(侯彥西)は同助演男優賞にそれぞれノミネートされています。ホウ・イェンシーが演じたのは、幼なじみの女性に一途な恋心を寄せるという役どころ。笑ったり、泣いたり、切ない顔をしたりといった、豊かな感情表現がとても印象的でした。
豪華キャストとはちょっと違いますが、子役の演技の上手さも目を引きます。特に幼少期の俊龍と昭君を演じた2人の演技はセリフ、表情ともにとても自然でした。
作品情報でも触れましたが、このドラマでは現在と過去が交錯しながら物語が展開していきます。過去のパートでは、俊龍の祖父が柑仔店を営むまでの経緯や、柑仔店に集う祖父の友人たちの若き日の出来事などが描かれ、絶妙な場面でそれらのエピソードが挿入されていきます。主要人物だけでなく、周囲の人々の物語も丁寧に描くことで、それぞれの人物に立体感が加わり、より感情移入しやすくなっていたように感じます。
物語では祖父の病気、幼馴染とのわだかまり、閉店の危機など、いくつかの事件が発生しますが、いずれも重くなりすぎず、軽やかに描かれます。そして随所随所で、町の人々の人情が発揮され、優しい気持ちになれます。
「根っからの悪」という人物が登場しないというのもポイントです。
この作品は全編を通じて、「人生の生き方」について問いを投げかける作品でもありました。ここでは一部の登場人物の生き方について見ていきます。以下はふんだんにネタバレを含むので、ご注意ください。
主人公の俊龍は建設会社で働く優秀なサラリーマン。前任者が成し遂げられなかった大きな仕事を成功させて、昇進が決まっていました。台北101が窓から見える立派なマンションを購入して一人で住んでいました。おそらくそれなりにいい給料を得ていて、都会的な価値観からすると、「良い生活」を送れて「将来性」がある「良い仕事」に就いていました。
一方、「田舎の柑仔店」(※)はどう考えても「将来性がある」ようには見えないし、スケールが大きい仕事でもありません。
※柑仔店とは
昔ながらのよろず屋。近年ではその数が減っていると言われているが、台北の都会にもいまだにわずかながら残っている。夜は比較的早い時間に閉まってしまう店も多く、コンビニと比べて利便性は低いが、地域密着型で、常連さんが多い。
しかしながら俊龍は、無意味な飲み会、家族に対する上司らの考え方、仕事の意味などに疑問を感じ、仕事をあっさりと捨てて、故郷の田舎に戻ってきました。故郷に帰った俊龍は最初は周りの大人がみんな「自分のおしりを見たことがある」といったような濃密な人間関係に戸惑い、「自分が他所の人みたい」と弱音を吐く場面もありましたが、次第に馴染んでいき、ビジネスマンとしてのセンスも発揮しながら、柑仔店をよりよい形へと変化させていきます。
都会に暮らしているとどうしても、俗に言う「良い仕事」につくのが一番いいと思ってしまいがちです。でも、みんなが思う「良い仕事」が自分にとって
「良い仕事」であるとは限りません。俊龍のように、お金はそんなに儲からないかもしれないし、スケールは小さいかも知れないけど、地域の人と密接化関係を築き、地域の人を支えていく仕事をいきいきとしていく。そんな生き方、働き方は素晴らしいと感じます。
俊龍の祖父・進徳は若かりし頃、裕福な医者の娘・銀月と恋に落ち、駆け落ちをします。しかしお金がないためにボロ屋に住み、お嬢様育ちの妻に苦労をかけてしまうことになります。そんなある日、妊娠中の妻が自宅で転倒し、早急に治療を受けなければ命は危ないという事件が発生します。進徳は愛する命を助けるために必死の思いで妻を妻の実家の病院に送り届けるものの、妻の父から追い返され、その後2人は離れ離れになってしまいました。
進徳は、銀月が話していた「ずっと外のランプに明かりがついている柑仔店を開きたい」という夢を叶えるため、一人で必死に働きます。そんな中、ある日突然、父親から、銀月が米国帰りの男と結婚することになったこと、銀月との間にできた子供が生まれていたという事実を伝えられます。その際、父親から「縁とは金持ちのものだ」という話を聞かされ、子供を一人で育てていくことを決めたのでした。結婚式で銀月を連れ去る計画も立てていましたが、父親から阻止されてしまいます。
銀月を思い、女性を遠ざけて暮らしてきた進徳でしたが、自分と子供に良くしてくれる女性と出会い、その女性と結婚して、念願の柑仔店をオープンさせました。そして、それから約60年の月日が経ち、2人は柑仔店で再会を果たすことになります。運転手付きの高級車から降りてきた銀月は、気品がただよう上品な老婦人になっていました。
田舎で小さな店を営む進徳と、見るからに裕福そうな銀月。このコントラストから、二人を隔てた長い歳月とどうにもならなかった身分の差を如実に表現していて、なんとも切なく、声を上げて大号泣してしまいました。こんなに泣いたのは久しぶりで、このシーンを思い出すだけでも泣けてきます(実際にこれを書きながら涙が止まりません)。
自分が望んでいない方向に進まざるを得なかった人生でも、時間は等しく流れ、そして進んだ道で人はそれぞれ、それなりの人生を歩んでいく。そう感じました。もし、あの時、銀月が転倒していなかったら、2度目の駆け落ちが成功していたら、現在の2人の人生は違っていたものになっていたでしょう。でも、そっちのほうが良かったのかは誰にもわかりません。おそらくこの2人は、一緒になることはできなかったけれど、互いに自分の人生をありのまま受け入れ、それなりに満足している。そんな思いが伝わってきました。
俊龍とその祖父は、自分の生き方に真正面から向き合い、実直な生き方をしている人物ですが、そうではない人も登場します。
それは、昭君の母親です。
この母親は若き日、偶然出会った素性不明の西洋人男性と関係を持ち、妊娠してしまいます。男には逃げられ、かといって堕胎もできず、そんな中で生まれてきたのが昭君です。母親はスナックを営んでいますが、ことあるごとに昭君にきつくあたり、「あなたに足を引っ張られた」と不満をぶつけます。そして、賭博で借金を抱え、その借金は昭君が背負うことになります。
この借金は、昭君の元恋人の手助けによって解決するのですが、その代わりに母親は「昭君との縁を切る」という条件を突きつけられます。別れ際にも、昭君にきつい言葉を浴びせ、昭君から「今まで、私のことを愛してくれたことがあった?」というあまりにも悲しい一言を尋ねられてしまうことになります。母親はこの問いには答えずにその場を去ったのですが、母親は本当は昭君を愛していたのです。だからこそ、何が合っても手放すことができずに、一人で育て上げてきたのです。でも、それを口にすることはありませんでした。
「昭君を生んだから人生がめちゃくちゃになった」とは言うものの、本当は、西洋人男性と関係を持ったのも、出産を決めたのも、育てると決めたのも、全て自分です。そのことに向き合わなかったがために、悪いことは全て人のせいにし、その結果、決して手放さなかった愛する娘と離れ離れになる運命をたどることになってしまいました。なんとも悲しいです。
隣人のおばあちゃんは、台北で働く息子夫婦に代わって、幼稚園児の孫息子・小武と仲良く幸せに2人で暮らしていました。しかしある日、息子夫婦が小武を台北の私立学校に進学させるため、小武を突然台北に連れて帰ってしまいます。しかし、この両親は仕事に追われ、息子に構う余裕もなく、夫婦仲は険悪。おばあちゃんから、「甲殻アレルギーがあるから、食べさせないように」と注意を受けていたにもかかわらず、アレルギー食品が入った食べ物を誤って与えてしまい、小武は入院することになります。そして、小武は病床でこっそりとおばあちゃんに電話をかけ、「おばあちゃんに会いたい…」と心細そうな声で切実な思いを訴えるのでした。
俊龍もこの子供と同じように、幼少期に親の勝手で祖父のいる田舎に一人連れて来られ、そして環境に馴染んだころ、今度は再び台北に連れ戻されそうになった経験を持ちます。小武が泣きながらおばあちゃんと引き離される様子を見ていた俊龍は、「なんで大人が勝手に決めるんだ。大人が言うことは絶対なのか」と怒りをあらわにするのでした。
子供とはいえ、感情があります。大人が「これが正しい」と思ってする選択は、子供にとって必ずしも好ましい選択ではありません。子供の人生を支配する両親によって、結果的に子供はつらい思いをすることになってしまいました。
俊龍や祖父のように自分の人生に向き合って等身大で生きる人、昭君の母親のように人生から目を背け続けて大切なものを失ってしまう人、隣人の息子夫婦のように子供の人生を自分たちのもののように支配し結果的に子供を傷つけてしまう人ーー。登場人物の人生への向き合い方はさまざまです。自分だったらどんな生き方をしたいか。そんなことを考えさせられました。
『用九柑仔店』は登場人物の優しさに癒やされつつも、人生について考えさせられる、とても奥深い作品です。人生に疲れた時、ほっと一息つきたい時に見ていただきたいです。
ドラマ『いつでも君を待っている』公式ホームページ (F4.tv)
放送・配信情報
日本:DATVで放送中(2020年9月21日現在)
台湾:Netflix、myvideo、LINE TVなどで配信中
作品の舞台となった「海潮郷」は架空の町ですが、主人公が営む柑仔店は嘉義県六腳郷潭墘村に実在する建物で撮影されたそうです。 田舎の町の風景は多くが嘉義県内で撮影されています。
詳しいロケ地情報は下記サイト(中国語)をご覧ください。
参考 《用九柑仔店》拍攝場景大揭密!走進嘉義鄉間小道,感受阿公、阿嬤的歲月痕跡妞新聞
良いドラマでしたよね、これ!!